ハルパル・シンさん

ハルパル・シンさん
Profile
氏名:
ハルパル・シン
(2015年 システムデザイン科学研究科
ヒューマンメカトロニクスシステム学域(現 知能機械システム学域)修了)
出身地・出身国:
クアラルンプール・マレーシア

2016年3月記載原稿

Interview

自己紹介をお願いします

ハルパル・シンと申します。マレーシアの首都クアラルンプール出身です。アジア人材育成基金の奨学金制度を利用して、首都大学東京大学院システムデザイン研究科ヒューマンメカトロニクス学域の博士後期課程を2015年9月に修了し、博士号を取得しました。私は、幸いにも、2012年にこの奨学金プログラムに合格し、それから3年後に博士課程を修了することが出来ました。この3年間、私の専門性向上と学術的な成長を得たことは私のそれまでの人生で最良の経験でした。 私は、首都大学東京在学中に、日本国立感染症研究所の特殊病原体研究室の共同研究員としての指名をいただき、そこで毎日研究活動を続けました。 東京での多岐にわたる経験は私の職業人生に多大な影響を与えました。そのおかげで、私は、現在、世界保健機構(WHO)に所属し、世界ポリオ撲滅プログラム担当の技術職員として働いております。

Interview

東京における学習の成果としてはどんなものがありますか。東京における生活体験が今のあなた自身の人間形成に何らかの影響を及ぼしたと思いますか。もしそうであれば、どんな影響があったか教えてください

それは、数え上げればきりがないと思います。卒業生の皆さんはどなたも同じように言うに違いありません。 あの3年間で、私は、とてもたくさんのことを学ぶことが出来ました。一番良かったことは、エンジニアリングやウイルス学の分野でよく知られた教授達に巡り会えたことです。 私は、力の限り努力し、研究にいそしむことが出来ました。そして、とても嬉しかったことは、学生生活を送る中で、一流の学術誌に多くの論文を発表できたことです。 私は東京での研究生活と日々の生活が恋しくて仕方がない、と言っていいでしょう。しかし、トーマス・ベイリーという英国の詩人は、こう言っています。"It was a dream of perfect bliss, too beautiful to last"(「夢のような至福の時だった。こんな素晴らしさはいつか終わる。」)と。これは、「人の人生における出来事には終わりがあるが、思い出と友情はいつまでも残る。」と解釈していいのではないでしょうか。東京での研究生活と日常生活は、今の私にとっていろんな形で役に立っています。鍛錬すべきこと、細部まで行き届いた仕事をすべきことなどを学びました。さらに、東京での研究活動における詳細な計画立案や研究活動は、私のその後の職業、特に今のWHO での仕事の向上に大いに役立ちました。 東京での経験は素晴らしいものでした。あの3年間は、私の人生の最良の時として私の歴史に刻まれることでしょう。 それは私の周りにいた多くの人々に負うところが大きいと思います。私にご指導、ご支援そして変わらぬ力添えをくださった教授、研究仲間、首都大学東京の国際課の皆さま、素晴らしい二人の同居人であるニビンとシビ、その他友人たち、どうもありがとうございました。

WHOのロビーにて。日々の大部分を仕事に費やしている。

WHOのロビーにて。
日々の大部分を仕事に費やしている。

Interview

首都大学東京での留学生生活で一番思い出として残っていること、あるいは最も興味深いエピソードをご紹介いただけないでしょうか

私の一番の思い出は、研究論文の作成と発表のプロセスにかかわるものです。あの3年間で学んだことに加え、論文発表プロセスで得たフィードバックは、私の研究の科学的価値に計り知れない影響を与えるものでした。研究活動は、実に過酷なものでした。深夜まで不眠不休で研究資料を読み、私が行っていた研究を理解するということを続けました。それでも、私には真に元気づけられる思いがありました。それは間もなく卒業できるという見込みです。卒業を控えた人たちは、さらに価値のあるものを見つけ、自分たちや関係者たちを元気づけるような形で研究成果を追及する可能性を秘めているのです。 また、私は、マレーシアやベトナムの学生たちや研究所のメンバーたちに私の研究活動について教えるという経験もしました。 自分が学ぶことだけでなく、他の人に知識を伝達することもできたのです。それは、とても充実感を感じることでした。 個人的には、思い出に残るたくさんの経験をしました。 日本食も恋しいし、非常に複雑に組まれた電車のネットワークや、富士山などの素晴らしい場所、新宿の喧騒と雑踏なども懐かしく思います。 私はいまスイスのジュネーブに住んでいます。ここもいいところですが、東京とは比べ物になりません。

雪の降る日の朝、WHOのエンブレム前で。

雪の降る日の朝、WHOのエンブレム前で。

Interview

アジア、さらには世界において、あなたの果たすべき役割はどんなものとお考えですか

いつも言っていることですが、アジア人材育成基金設立を通じてアジアの科学者たちを育てようという東京都のビジョンは高く評価されるべきものであり、先見性を持ったものといえます。 世界の片隅 から来た私は自分自身を高め、その能力を発揮させる機会を与えられ、卒業後もさらに能力を高め、いまWHOで働けるまでに成長させていただきました。 多くの人たちが、私と同じように、ビジョンと目標を持ち、自分を輝かせる機会を求めています。 私にそんな機会を与えて下さった東京都と首都大学東京 に 感謝します。そして、このプログラムがこれからもずっと続くことが私の願いです。

Interview

アジア人材育成基金(現 都市外交人材育成基金)修了生と在学生に対して、何かメッセージをお願いします

在学生の皆さん、首都大学東京在学中の3年間は、あなたの専門性および学術人生を前進させるためのチャンスであると考えてください。 取り組むべき課題はたくさんあるでしょう。でも、それはあなたの経験をより豊かなものとするためのものです。しっかり前だけを見て進んでください。 最善を尽くしてください。そしてできるだけたくさんのことを学んでください。あなたは素晴らしい支援者たちに恵まれています。教授たち、研究仲間たち、そして国際課の人たち、皆があなたをサポートしています。課題に挑戦するということは、あなたの能力向上のためのチャンスと思ってください。 卒業生の皆さん、私と同様に、首都大学東京での学生生活、東京での生活に思い出を持っていることでしょう。そして、そこであなたが決めたことは、あなたにとって最高のものだったのだと思います。 国際課のスタッフの皆様に申し上げます。いつも一歩先を見据えた対処をしていただいたこと、私たちの首都大学東京での学生生活をつつがないものにしてくださったことに感謝します。頭が下がる思いです。 首都大学東京のヤン教授、菅又教授、国立感染病研究所の西條博士と下島博士には、そのご指導、ご鞭撻に心より御礼申し上げたいと思います。そして、東京都に対しては、私に3年間の東京での生活の機会を与え、支援してくださったことに感謝の意を表したいと思います。あの3年間は、私のこれまでの人生の中で最高のものでした。

現在の職場であるWHO:エンブレムの下には国連の公用語である中国語、ロシア語、フランス語、英語、スペイン語およびアラビア語の6つの言語による表示がある。

現在の職場であるWHO:
エンブレムの下には国連の公用語である
中国語、ロシア語、フランス語、英語、
スペイン語およびアラビア語の
6つの言語による表示がある。